こんにちは
がくちょうです。
ご無沙汰してます。めちゃくちゃ久々にブログ書きます。
いやー大変でしたね。緊急事態宣言が4月から丸2か月続きまして、私のところは家に5人の乳幼児とか小学生とかがいますから、大変なことになっておりました。
もちろん経営者としても、1年が12か月しかない中で2か月も操業停止状態というのはかなりきついものがあります。
やっと6月の2週目から、保育園と小学校が再開してくれて、今日は本当に久しぶりに自分の時間がゆっくり取れたので、筆を執りました。
正解がない世界で成長する方法について
さて、私は2009年から副業を始めて、2013年に独立して会社経営を始めました。
そこからほぼずっと、一貫して「教育サービス」を提供し続けています。
簡単に言えば「ビジネス教育」という感じで、自分でサービスを創ったり、ビジネスを起こしていく方法について研究し、それを様々な形で人に伝えてきました。
で、ざくっと10年近く続けてきてずっと感じているのは、
「全員にうまく成長してもらうのって難しいなぁーーーー」
ということです。
まぁこれは半分は納得の問題でもあって、正直に言って「別に全員が成長を望んでいたわけじゃない」とか「そもそも成長や成果は短期的には計測しづらい」とか、いくらでも自分自身を納得させることはできます。
8割がうまく成長できていなくても、2割の成果が出た人を大きく取り上げれば集客はできるし、事実ほとんどのスクールや教育サービスがそうしていますよね。
ですが、私は「起業家は理想を追い求めなくなったら死んだのと同じ」だと思っています。
私は理想の教育を追い求めていて、そしてそれはまだまだ遠いところにあるように感じるのです。
あと5年くらいで日本を世界一の教育国家にしたい
実は私は、日本を世界一の教育環境が整った国にするために「必要なカギ」に、あと少しで辿り着きそうになっています。
私が目指すのは、
誰でも、いつからでも、何にでもなれる社会の実現
です。
私は今、とても自由に仕事をさせてもらっています。
5人子供がいますが、彼らの世話をしながら、家事も育児も一緒に参加してみんなでやって、そのうえで好きな場所で好きなことを仕事にして、好きなだけ報酬をいただいています。
仕事をたっぷり好きなだけする日もあるし、全然しない日もたくさんあります。
趣味のゲームも一流のレベルまで腕を磨いて、今では150名以上いるEスポーツチームを運営しながら、ゲーム実況者としても活動しています。
昼まで寝ていたり、朝までゲームしていたりする日もたくさんありますが、寝ずに仕事をしている時もあります。
正直に言って、2009年に初めて社会人になった時、10年後に自分がここまで自由に生きているなんて思ってもいませんでした。
それはそうでしょう。
34歳で、昼まで寝たり、好きな時に散歩に行ってぶらぶらしたり、夜中3時までゲームしたりしながら、子供を5人育てつつ、好きな人と好き勝手仕事をして、会社員の何倍もお金を稼いでいる生活なんて、普通に考えたらイメージできません。
正直、お金はあまり多すぎても仕方がないと思っています。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
お金が余るほど無くても、人は十分に幸せになれます。
ですが、私は「職業選択の自由」だけは譲れません。
つまり、何歳になっても、どんな状態からでも、
「こんな生き方がしたい」
「こんな働き方がしてみたい」
と思ったら、それが実現できる社会であるべきだと思うのです。
そのためには、
自分の人生を自分で選択していく力
が必要です。
そういった力を身に付けられる場所を、ちゃんと整備してあげたい。
それが私が望んでいることです。
観察と実験による学習
私はこの10年で不思議に思っていたことなのですが、
学校教育で非常に好成績だった人が、自分のキャリアを全くもってうまく構築できない場合がある(というか結構多い)
という現象があります。
聞いてみるとすごい高学歴だったりするのですが、そういう人に限って、自分のビジネスを起こしたり、自分の将来を理想通りに構築していくのが下手だったりします。
なんとなく皆さんも理由は想像できると思いますが、つまりそういう人たちは
観察と実験による学習
が下手なのではないか、と最近考えています。
これは言い換えると「仮説と検証」とも言えます。
観察によって仮説を出し、実験によって検証していくという関係になっているからです。
世界のほとんどの事はいまだに謎に包まれたままですが、ほんの少しだけ、その原則や法則を解明できている部分があります。
それらを分かりやすく系統立てて、誰でも順序良く学べるようにした珠玉の研究結果が「学問」です。
しかし、どんな学問や技術も、その最先端のところまで行けば「答えが無い領域」に到達します。
言い換えれば、系統化された教材や学問は、先端で観察と実験を繰り返した先人たちの残りかすなのです。
残念ながら、既存の学校教育モデルはその残りかすを全員の頭に無理やり詰め込むのが主な役割になっています。
高学歴の方の中には、「残りかすを詰め込むのばかり上手になってしまった人」が一定量いて、そういう人たちは露骨に
観察と実験による学習
ができない特徴があります。
そして、残念ながら人生のほとんどは「答えのない領域」です。
人生を思い通りに生きていくためには、「観察と実験による学習能力」がまず率先して必要で、それによって「正解が1つに決まっていない領域で自分で前進していける人間」になったところに、初めて教材や系統化された学習モデルが活きてきます。
この順番が重要なんだな、という事に最近気づきました。
世界一のキャリア教育国家に向けて
既存の教育では、ほとんどの問題に「既に正解が決まって」います。
8×9=□
という問題で、
「君なりの答えはなんだい?」
とは聞かれません。
これを、
□×□=15
程度に選択肢を増やしても、結局数パターンしかない答えに意味はないのです。
残念ながら、キャリア教育はこんなレベルの前提条件ではありません。
本人の性格、過去の経験、年齢や体力、家族状況、資質や適性など、無限と言っていいくらいの前提条件の違いがあります。
もっと言ってしまえば、「その問題には取り組まない」という選択肢から存在するのがキャリア教育だと言えます。
私にとっての正解は、おそらく他のほとんどの人にとっては正解ではないでしょう。
キャリア教育の領域では、
「観察と実験による学習」と「系統化された教材による学習」の重要度は
「観察と実験による学習=8」:「系統化された教材による学習=2」
くらいの割合になるのではないかと思います。
事例、やり方、ノウハウ、成功法則など、いくらたくさん知識を提供しても、その前提に「観察と実験による学習」が身に付いていないと、それを自分に適用していくことができません。
そして、偶然にもその方法がマッチした数%の人と、既に「観察と実験による学習」が身に付いていた2割程度の人だけが成功していく教育環境がたくさん生まれていくという話です。
ここを、変えていきたい。
それが私が考えているキャリア教育への変革ビジョンです。
次回に続きます。