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なぜ経済が発展したのに人は忙しく働いているのか

がくちょうのコラム

がくちょうです。

今日は、久々ですがマクロ経済に近い視点で、最近考えていること、そしてこれからの日本にとって必要だと感じる方針や実装予定のプロダクトについて考察します。

なぜ豊かになったはずの日本で過労死が起きるか

とても単純な話ですが、考察の出発点を上記の問いにしたいと思います。

みなさんは、なぜだと思いますか?

十分豊かになって、もしかしたらこれ以上働く必要がなくなったかもしれない日本という社会において、なぜこれほどまでに成長への圧力が強いのか。

有名な例え話ですが、

ある村に”貧乏”な漁師がいました。

そこに”裕福”な投資家がやってきて言います。

「あなたは網を買わないのですか?網を買って、魚をたくさん獲りましょう!そして余ったお金で船や加工工場に投資すれば、さらにたくさんのお金を生み出すことができますよ!私がそれを支援します。」

漁師は言います。

「それは素晴らしいが、そんなにお金を増やしてどうするんだね」

投資家は答えます。

「たくさんのお金と時間が余ったら、好きなことに時間をたっぷり使えますよ!」

そこで漁師は言いました。

「それならきっと、私は釣りをするだろう。今と変わらないね。そんなことのために人生のほとんどを費やしたくはない。」

という、「資本主義において、手段が目的化してしまう代表的な事例」についてわかりやすく説明した話です。

ただしこれは、簡略化されすぎて重要な視点がいくつも抜け落ちています。

例えば、

  • 漁師が偶然「好きなことが釣り」だっただけで、ほとんどの漁師は「お金を稼いで楽に暮らしたいが、選択肢がなくて漁師をやっている」可能性もある。その場合、投資家のオファーは魅力的である。
  • 漁師は「好きなことを仕事にしている」という視点では経済的に努力する価値が低いように見えるが、貧困によってそのほかに「健康や病気のリスクが高い」「良質な教育を受けられずに貧困が家庭で連鎖する」「自分の釣り場から魚が減ってしまうなどの外的環境リスクに対応できない」などの負の可能性を多く秘めており、それらを総合的に鑑みれば投資家のオファーは魅力的である。

などです。

つまり、資本主義に積極的に参加することは明らかにメリットの方が多く、この200年の資本量の増加に伴う人口の増加は、明らかに資本主義が人類に貢献したことを示唆している、というのは最初に認めるべきだという話です。

しかし、間違いなく完璧ではありません。(完璧な社会システムなんて無いと思いますが)

明らかに、資本主義の発達によって発生している負の側面も大量に見つかってきています。

その事例のひとつが、「十分豊かになった先進国において、働きすぎや過労死が発生したり、鬱や社会的ストレスが増加していっている」などの現象だと言えるでしょう。

私は単純に、とても不思議に感じていました。

日本は、200年前と比べれば、明らかに豊かになったはずです。

しかし、成長が止まっている、世界的に見れば貧困国になっている、などの問題提起が常態化しています。

そして、人は今までよりも、もっと忙しくなっていっているように感じるにも関わらず、賃金は低下し、雇用は不安定になり、能力や生産性をずっと厳しく問われるようになってしまいました。

なぜ、成長したのに「成長圧力」はむしろ強くなっているのでしょうか?

成長すれば幸せになれるのでは無かったのでしょうか?

今、日本に、世界に、何が起きているのでしょうか?

この単純な疑問に、できるだけ答えていきたいと思います。

人はなぜ働くのか

先に、人はなぜそもそも働くのか?という部分について根本の認識をすり合わせたいと思います。

詳しくは過去にこちらの記事に書きましたが▼

人はなぜ働くのか
がくちょうです。 年末ですね。 このブログを始めてから5回目?の年末でしょうか。勢いで会社を辞めたのが2012年秋。 2013年から会社を作って一人で仕事を始めて、そこから本当に色んなことをやってきました。 もう5年ですか・・・はや。。。 ...

ひとことで言ってしまえば、人が働くのは「繁殖のため」だと私は認識しています。

そういう意味では、あらゆる生命体が「繁殖のための環境整備活動=仕事」を行っています。

アリは巣を作って食事を運ぶし、蜂は役割を分担して巣を守ったり、新しい引っ越し先の偵察に行ったりします。

長年、飢餓や病気による生命繁殖の大きなリスクにさらされてきた人類において、農業の開発、工業化を経て人類の総数を1億にも満たない状況から70億まで短期的に増やしたのは素晴らしい功績です。

特に、直近300年程度で見れば爆発的と言える増加を実現しており、それを支えたのが資本主義による経済成長だったのは間違いないでしょう。

そして、人口が増えれば増えるほど、「人類にとって」住みやすい環境は整っていき、我々の暮らしはとても安全で快適になっていきました。

つまり、人は「繁殖して人口を増やす」ために働いており、その「繁殖のための仕事」を高度に効率化したのが近代の資本主義だったという風に言えるわけです。

では、経済成長は無制限に続けていくべきか?

成果を見れば明らかに成功していると言っていい資本主義ですが、それではこのまま突っ走ればよいのか?というと、問題も多く累積しているように感じます。

根本的には資源の問題に突き当たりますが、例えば70億人からいったいどこまで人類を増やすべきでしょうか?

少なくとも、人類が700億人になったときに地球で支え切れるとは思えません。

加えて、経済成長による負の側面を放置してよいのか?という問題もあります。

人間が増えたことと、人間が幸福になったことは似ていますがイコールではありません。

先進国では少子高齢化が進んでおり、これは時間差で全世界に波及していきます。経済成長率も先進国を筆頭に明らかに停滞してきており、それによって社会システムが維持できなくなってきています。

巨大な規模感で金融破綻が起こるようになり、テロや内戦、政治不安なども常態化してしまっています。

現状をできるだけ客観的に把握し、「今はどういう状況で、これからは何をするべきか」を考えないと、日本を筆頭に社会システムが破綻してしまって内乱や大きな社会的混乱などの悲劇につながっていく可能性が高いと言えるでしょう。

そこでここからは、「今はどういう状況なのか」と「これからは何をするべきなのか」という視点で、私たちが今後行っていくべき施策や行動について考えていきます。

テーマ1:国家(または世界)単位の低成長時代における社会福祉国家の実現

今、日本を含めて先進国は低成長の時代に突入しています。

明確に、今後の社会福祉を実現していくための財源が足りません。

まずはこの問題に対して、「経済成長が答えになるか?」という視点で考察します。

そもそも、経済学の理論などを参照して私が思うのは、常に前提が「国家」という枠組みになっているということです。

「日本は低成長だ」

という前提からスタートし、「ゼロ金利は企業活動が利潤を生まなくなっていることを意味している」「だから資本主義は終わりを迎えているのだ」「いや、適切な政府による金融政策を実施すればまだ経済は伸びて復活できる」などの理論に展開する、というパターンです。

しかし、そもそも既に「国家」という枠組みですべてを考える必要がなくなっているのではないか?というのが私の所感です。(千葉大・京都大教授の広井良典先生の考え方に近いと捉えてください。)

例えば、戦国時代のとある「村」の農民は、「自分は日本国家の一員だ」という認識はほぼ持っていなかったはずです。

国家による中央集権的システムや、修正資本主義による国家的な経済管理などは、少なくとも直近100年から200年、早くとも1800年代以降になってから確立されたものであり、例えばまさに明治維新は1868年の出来事ですが、日本においても江戸時代まではそんな統治システムや考えは普及していなかったはずです。

はっきり言って、日本が低成長だろうが、私たちの暮らしに問題が無ければよいのです。(戦国時代を描いた戦記等で、領民が「戦争なら私たち農民に迷惑をかけずにやってくれ。どうせ誰が領主になろうと大して変わらないんだから」と言っているシーンを想像してください。)

資本の世界的移動が限りなく自由になった現在において、量的緩和によってマネーストックを強引に増やしても、国内の需要が増えるわけでもなく、また国内にマネーがとどまるわけでもありません。

それは逆に言えば、世界中のマネーに対して、国家ではない「個人または企業またはその他集団」という単位で、いくらでもマネーを引っ張ってこれるという意味でもあります。

もともとはイギリスの世界展開から始まる「周辺国への量的拡大と、中心国への一方的に有利な取引」からスタートしている国家単位の資本拡大合戦ですが、工業化のパイの限界(最後に残されているアフリカ)が見えてきたタイミングで金融の自由化をアメリカが強引に進めた結果、もはや国家単位ではなく「企業単位」「個人単位」での格差の拡大が発生しています。(アメリカは世界で一番経済発展した国ですが、世界で一番国内の格差が大きい国でもあります。)

私は、これは国策の失敗ではなく、そもそも「国家という枠組みが必要だったのは一時的で、自由化が進めば、より小単位での枠組みでの経済政策が一般的(効率的)になる」ということだと理解しています。

もちろん、政府や国による財政管理が全く必要なくなるということではありません。

しかし、そもそも全体で管理した方が効率が良いものと、小単位の方が効率が良いものとがあるはずです。

例えば、道路や鉄道などの管理は国策が効率的です。

下水道や電力などのインフラも国策の方が効率がよさそうです。

しかし、教育や介護はどうでしょうか?

医療は?保育は?

電話は?郵便は?インターネットは?

などと考えていくと、国家以外の小単位での経済政策とインフラの整備を行った方が、効率が良いものも出てくるはずです。(もし、私が「村」を創ったら、おそらく郵便と電話は廃止します。その代わりに超強力で安定したインターネット回線を引くでしょう。)

日本が低成長でもよい、という話ではなく、「そもそも日本単位で全部どうにかしようとしているのが間違っているのではないか」という話です。

では、「小さな政府(限りなく民間に任せる)」や「地方分権(県や知事、自治体などに権力を移譲する)」という方向性になるのでしょうか?

そこに対して、私は第三の選択肢を考えています。

それが「文化」です。

文化への帰属が一般的になる未来

私は2014年からオンラインサロンを運営しています。

すでに5年以上が経過したことになりますが、業界の第一人者として如実に感じていることがあります。

それは、「人が新しい何かに帰属したがっている」という傾向です。

言い換えると、住んでいる土地、通っている会社などの「既存の枠組み」ではない場所に、自分の居場所を見つけたがっているのです。

そして、私のサロンは間違いなくアクティブ率が日本一高い状態をこの3年以上維持していますが、その「なぜ人が定着し、そして活動的になるのか」という私なりの答えが「文化」なのです。

つまり、私のオンラインサロンには明確な「文化」が創造してあり、その「文化への所属」が現代の人々のニーズにマッチしているのではないか、ということです。

思えば、文化というのは非常に「ソフトウェア」な存在です。

学校にも地域にも「文化」は発生しますが、目に見えて触れるものではありません。

よく、「企業文化」という言葉が使われますが、つまり人が集まればそこに文化は創造できるものであり、オンラインコミュニティでも同じことが言えるのです。

私が提案し、実行している施策1

ここからは、私が今後検討している動きになりますが、

まず私は、現在運営しているファーストペンギン村というオンラインコミュニティを、実際にどこかの日本の地域に創造しようと考えています。

具体的には、現在ファーストペンギン村に所属して活動してくださっている方々と、集団で「ある地域」に移住してしまうイメージです。

そして、そこに「ファーストペンギン村の文化を強めていくために必要なインフラ」を自分たちで創っていきます。具体的には

  • 超高速&安定したインターネット環境のあるコワーキングスペース
  • セミナールームなどの充実
  • 共同で管理する書籍やタブレットのある図書館(バーチャルの可能性もある)
  • 動画や音声の配信のための個別ブースや収録スタジオ
  • 最新テクノロジーを体験や試用できる施設

などが考えられます。(村自体の売り上げや、住民によるファンディングで費用を賄います)

そして、そこを「リアルな拠点」としつつも、並行してオンラインコミュニティも継続して運営&拡大を続けていきます。

ただ、例えばですが「リアルで集まって合宿やります」「運動会やりましょう」「特別講師を招いて対談やリアル勉強会をやります」などの土地が必要な活動があった場合は、基本的に村で行うことになります。

これによって、いったんオンラインコミュニティに入った方で、「もっと濃い文化に所属したい」「もっと学びや実践を加速したい」「村の人が好きで、近くで暮らしたい」などの志向を持った方が、引き続きどんどんリアル村に移住してきます。

そして、人が増えれば施設も拡充されていく、という流れで、時間をかけて実際の「村」に近い場所が出来上がっていきます。

ただし、重要なのは「文化」によって繋がっているため、「水道」「下水」「道路」などのインフラはその地域の行政によって運営されているという部分です。

しかし、もしかしたら「教育」に関しては、小学校に行かずとも自分たちで考案した教育モデルで賄う人が増えるかもしれません。保育に関しても、オンラインでの仕事が一般化するため、最小限になる可能性があります。「健康」ジャンルも、コミュニティ内で予防医療を促進しているので、必要なサービスが変わるでしょう。

このように、

「適当に集まったニーズや嗜好性が全く異なる住民に対して、満遍なく満足が行き届くような行政サービスを提供する」という現在の行政システムから、

「特定の文化や事前合意が存在し、目指す生き方や嗜好性などが揃っている住民が集まって、自分たちで必要なシステムを創造していく中で、一部どうしても必要なサービスは行政に任せている」という未来のコンパクトな行政システムに移行します。

ユーザーにとっては、これまでの人類史において「居住場所を選ぶ→その場所の文化に合わせて生きる→合わなかった場合に孤立してしまう」という不変の一方通行の流れが、「所属したい好きな文化をオンラインコミュニティで先に選ぶ→低いスイッチコストでお試しで色々な文化に所属してみる→本当に長く深く所属したい文化が見つかったら、実際にオフラインのコミュニティに移住する」という流れに変化します。

これはユーザーにとってメリットしかありません。メリットしか無い未来は、ほぼ確実に実現します。シリコンバレーをイメージしてもらえると、すでにそういった逆流の流れが世界的に実現してきているのが分かると思います。

それを、オンラインコミュニティ(オンラインサロン)を起点に大量に発生させようと考えているのです。

これによって、国家による強引な景気回復が必要無くなります。国家が統制しなくとも、各地域による自治システムが大幅に発達し、効率化かつ極度に多様化するためです。

「日本は豊かなのか」という議論が過去のものになり、「どこの文化はどう発達しているか」「どこの文化に住むと、どんな住環境や生き方が実現できるのか」という話題に変わります。

国政に携わる政治家の数も大幅に縮小し、国防や工業レベルでの国策管理が中心になります。経済施策のほとんどを、各文化レベルで実行しているからです。

例えばですが、ファーストペンギン村では「経済的自立」というテーマで所属する人間が日々研究や実践を行っており、成果を上げています。そして内部には「挑戦と貢献」という文化が深く浸透してきています。

これは、ファーストペンギン村に入れば、経済的自立を実現するための知識、人、交流、インフラが非常に発達して整備されているという意味でもあります。(そしてそれらは、リアルの村ができることでさらに促進されます。)

極端な話ですが、経済的に支援が必要な人の大部分は、ファーストペンギン村に移住すれば問題が解決する可能性があるということです。そして、ファーストペンギン村と似たような場所がどんどん増えていきます。(私が普及活動をして増やすからです。)

つまり、国策としての「最低自給の担保」や「社会保障による生活支援」などが、大幅に必要無くなっていく可能性があるわけです。

同じように、例えばですが「食料の自給自足率100%を目指す」ような文化があったり、「予防医療によって100歳までピンピン暮らせる生き方を目指す」ような文化があったりと、各地に「文化的指向性を持った学術コミュニティ」が発達していき、国家による全体福祉を補填していきます。

これが、私が提案する「国家で経済成長を牽引できなくなった資本のグローバル化&低成長時代における、社会福祉国家の実現方法」です。

おそらく、どの経済学者にも描けない未来です。なぜなら日本で唯一、私ただ1人だけしか、ここまで本気でオンラインサロンを運営していないからです。

3年以内に、実際に実現していく予定です。

※私が政治家ではなく哲学者でもなく、起業家でよかった!と思うのは、こうやって実務家しか描けない未来が具体的に見えて、さらに考えたことを本当に自分の力で実現できるからです。

テーマ2:格差の進行による分断

テーマ1は、「国家単位で経済を牽引できなくなった場合における、社会システム(特に福祉という観点で)の維持」という問題に対しての解決策の1つでした。

次に、先進国が抱えている大きな問題の一つである「格差の進行によって持たざる者の方が増えていく」という部分にアプローチします。

不思議な話だと思いませんか?

圧倒的に経済成長したアメリカで、世界一格差が開いていることがです。

なぜ、資本主義が発展していくと格差が広がるのでしょうか?

これについては諸説ありますが、私は下記の複数の要因によるものだと考えています。

  • そもそも地球資源は有限であり、資源を人口拡大に活用するのが「繁殖としての仕事」であるなら、当たり前に成長はいつか止まる
  • 具体的に言えば、工業化が世界中に浸透していっており、新たな需要の拡大にはフロンティアが必要だが、見つけられていない(ITは雇用の受け皿にならない)
  • 結果として供給過多になり成長曲線が緩やかになるが、プレイヤー数は人口増加で増えるので各社の利益率が減少し、労働条件が厳しくなる(ブラック企業化・雇用の削減・給与の低迷・非正規雇用の拡大など)
  • 同時に資本移動の自由化によって一部の企業に資本が集中しやすくなっており、さらに正のフィードバックループによってそれが強化されている(富めるものがより豊かに、という構造)
  • そこにさらにIT化が追い打ちをかけて雇用を奪っている

という視点です。

世界全体で見れば、実体経済の数倍以上の金融資産が存在しているわけなので、じゃあ再分配したらいいじゃんという話になるのですが、前述したとおり「国家による再分配」が構造的に崩壊しているため、格差の広がりが止められないという状況になっています。

じゃあ資本主義は失敗したのか?というとそうではなく、少なくとも人類全体の富の総量は圧倒的に増えたわけなので、300年前と比べて「最も持たざる者」を比べたら、生活水準は大幅に向上しています。

しかし、大きすぎる富の偏りは社会の分断を招く可能性があること、全体的に豊かになったとは言えまだまだ生きていくには資金が必要なこと、労働条件の悪化や雇用機会を奪われた人間が目指すべきロードマップが存在しないこと、など問題が多いことも事実です。

そこで、上記に対しての私の提案と具体的に検討している施策について書きます。

「文化的指向性を持った学術コミュニティ」によってイノベーションを加速する

まず、超根本的な話で言ってしまえば、「需要が爆発的に増えればすべて解決する」という論理があります。

狩猟から農業化が進み、そこから工業化を果たしてきた人類ですが、その先に明確に爆発的に発生する需要を見つけられていません。

それなら、見つければいい。

爆発的に需要が拡大すれば、経済全体のパイが増えるため、「頑張ればだれでも一定量は報われる」という状態が再度実現します。

この話をすると、

「もう人間はおなかいっぱいで、これ以上の需要なんて無いんじゃないの?既に十分豊かになったってことでしょ」

という風に、成長の限界論を唱える声が聞こえてきそうですが、私はそうは思いません。

少なくとも、人間は「将来自分が何を欲しがるか」について全くもって無知です。

500年前に農民として畑を耕していた人が、今の日本人の暮らしを想像することはできなかったでしょう。

直近でも、例えばエネルギー、宇宙開発、再生医療など、イノベーションの可能性があるジャンルはたくさん存在します。

例えばですが、「お金をたくさん払えば、20代の肉体に戻ったり、維持したりできるようになりますよ」と40代になって言われたら、私なら頑張って稼いで支払います。(現実的に、私はIT革命の次は「若返り革命」だと思っています。)

もう一度言いますが、500年前の農民業の方は、現代人が「ソシャゲでレアなキャラクターをガチャる」ためだけに、月の生活費の何倍ものお金を使ったりするなんて夢にも思わないでしょう。

間違いなく、人間の経済活動はまだまだ続きます。資本主義は簡単には終わらないでしょう。

需要を爆発的に拡大するようなイノベーションを起こす。

そのためにカギになるのが、シリコンバレーのような文化的偏りを持った地域を増やすことです。

つまり、私は前述した「オンラインサロンを起点として、文化的指向性を持った学術コミュニティを各地に創出する」ことによって、第二、第三のシリコンバレーを創っていくことができるのではないか、と考えているのです。

偏りの力は素晴らしいです。

一例ですが、私はファーストペンギン村以外にもう一つ、「スプラトゥーン」というゲームのコミュニティも運営しています。

そこは、30歳以上のスプラトゥーンを愛する「オタク」が125名集まっていて、日々一緒にゲームをしたり、ふざけ合ったりして楽しんでいます。

そして、面白いのはこの「偏ったコミュニティ」の存在によって、

  • ユーザーのゲーム時間が飛躍的に伸びた
  • それに伴って、ユーザーの「ゲームスキル」が格段にアップした
  • さらに、BOTやデータ解析ツールなどの独自開発まで行うようになった

という現象です。

つまり、非常に偏りを持ったコミュニティは、中にいるひとを「良い意味でバカ」にする効果があるのです。

私は、この5年間ずっと「環境が人を作る」という言葉を言い続けています。

技術的なイノベーションは、そういった「良い意味でバカ」が集まったときに産まれます。

常識的なバランスの良い思考からは想像もつかないことを、偏りの力で生み出していく。

私は、「文化的指向性を持った学術コミュニティ」にその可能性を感じています。

既存の経済指標で測れない指標を「幸福度の指標」として設定し、経済力が無くてもその指標にリーチできるロードマップを構築する

分かりづらいと思いますので解説します。

簡単に言えば格差の問題は

  • 労働状況が悪化した人が増えたら、最悪生きていけなくなるよね!
  • もし働かなくても生きていけるとしても、生きがいとかどーすんのさ!

という2つの話があります。

まず「労働状況が悪化した人が増えたら、最悪生きていけなくなるよね!」の話をします。

現実的に、成長経済時代に設計された社会福祉システムは崩壊間近であり、このまま格差が拡大して「持たざる者の総数」が増えていった場合に国家が再分配をうまく実行できなかったら、大量の貧困層が発生します。

そして、上記シナリオはほぼ確定であるため、それを長期的に緩和するために、前述した「コミュニティ文化単位での社会福祉システムの充実」を私は想定し、実現していこうとしています。

ただ、間違いなく私の構想が実現するより早く、そして経済全体がこれまでのペースで成長するような需要が見つかるよりも早く、社会システムが崩壊します。

残念ながら、「成長経済時代に設計されたシステムが、低成長時代において構造破綻を起こした結果、大量の貧困層が発生する」というシナリオは秒読みであり、100%確実に発生します。(というか既に始まってる)

日本は、世界で最も早く上記のシナリオを回避するための社会システムを構築する機会に恵まれましたが、成長神話に完全に思考停止し続けた結果、数十年を棒に振りました。

重要なのは「成長しようとすること」と同時に、「成長しなかった場合でも成立するシステムを考えること」です。

当たり前です。

当たり前。

日本がやっていることは、「高速道路から降りて、時には一般道を走る可能性があるレースで、ガソリンをすれすれにしながら最高速で走り続ける前提で運転する」ようなものです。

最も効率よく、車の性能や燃費を実現できる状態を前提にすべてを考えようとすれば、当然ながら一般道に降りた際にガソリン切れを起こします。

ガス欠を起こし、借金でガソリンをつぎ足しながら、何十年も「もう一度高速道路に乗る機会」を伺い続けています。

もはや、システムの破綻と大量の貧困層の発生は、止められないでしょう。

しかし、私は明確な回避策を実装する予定があります。

それが、「教育コストを限りなくゼロにする」という取り組みです。

成長経済時代に設計されたロードマップを見直す

簡単に言ってしまえば、成長経済時代に設計された、「人はこう育てるべし、こう生きるべし」というロードマップ自体を見直せばよいのです。

そもそも、人が生きていくのに、そんなに大量のお金が必要なのでしょうか?

テクノロジーのお陰で、今はどんなものでも安く創ることができるようになっています。

労働状況が悪化すると、最悪の場合生きていけなくなる人が出るよね!

という話も、そもそもですが「生きていく」という部分が「経済成長時代」の基準のままになっている可能性が高いわけです。

例えば、みなさんは子供を育てるために必要な資産がどれくらいか想像できますか?

様々なデータがありますが、例えば教育費だけでも、1人を大人になるまで育てたら数千万円かかる、というデータも珍しくありません。

私は思います。

バカなの?

教育にそんなにお金がかかるわけがありません。

例えば、私は現在「初等教育向けのオンライン教育サービス」を開発しています。

月額2000円以下に設定する予定で、そこに入れば自己肯定感と地頭が育ち、考える習慣や楽しさが身に付くようなスクールに設計しています。

そして、公文式のような形で全国にFC展開していく予定なのですが、例えばここに6年間通っても年間24000円×6で15万円弱です。

そこに、書籍の購入費用として同じくらいの費用を捻出するとしても、6年間で30万円あれば、十分に高度な教育を実施可能です。

小学校なんて行かなくていいです。

さらに、その後に中学校と高校を混ぜて「12歳から18歳まで向けの中高等教育サービス」もスタートする予定です。

中高等向けサービスでは、実際に自分で才能を発揮し、お金を稼いでいくような体験をしていくプログラムにします。

私のスクールに通っていれば、18歳になるまでには「自分でお金を稼げるようになる」という設計です。

つまり、教育費用はそこまでしか必要ありません。

中高等向けの6年間で、そちらも教材費合わせて50万円程度にできるでしょう。

しかも、途中からは自分で子供自身がお金を稼ぎ始めることになります。

ここに明言しておきますが、私がこれから起こす教育革命によって、子供を育てるために親が負担する教育費用は「1人あたり、生涯で100万円程度」になります。

2000万円、3000万円と言われている「教育業界で小銭を稼いでいるバカ」が考えた成長経済時代の費用設計は、そもそも頭がバカになっている夜中に作ったラブレターのようなものです。

本当は、100万円でよかったのです。

同じように、現代人が「生きていくのに必要」と当たり前のように考えている費用のほとんどは、「頭がバカになっている時に考えたラブレター状態」になっています。

葬式も結婚式も、本当は5万円で開催できるはずです。

移動費用はオンラインに切り替えれば全部無料になります。

車も家もジャブジャブに余っています。中古やシェアで十分。そもそも車がいらない都市構造にすれば買う必要はありません。

今の私たちに必要なのは、「そもそも頭がバカだったころに考えた人生のロードマップを、冷静になってもう一度丹念に見直していく」ことです。

貧乏に我慢できるようになれ、と言っているのではありません。

頭を使えば、ほとんどの費用は無料に近づけられるくらい、テクノロジーが進化しているんだよ

という話をしています。

現代人は、この200年で頑張って限界費用を下げていったにも関わらず、古い考え方や慣習に縛られて、それをうまく活用できていません。

金利が長期的にゼロに近いのは、企業が利潤を上げられなくなったという視点もありますが、「現代における生活の限界費用が限りなくゼロにできるようになった」ともいえるのです。

生活にかかるお金が減るのと、人生が貧しくてひどいものになるのは、全く別の話です。

経済指標以外の指標を「幸福度」の基準値に設定する

上記に関連した話で、次にこちらがあります。

  • もし働かなくても生きていけるとしても、生きがいとかどーすんのさ!

の方についての話です。

限界費用が下がり、例えば全員が頑張って働かなくても生きていけるようになったとします。

経済成長や人口の増加ペースは緩やかになりますが、そもそも現段階での満足のいく生活を送るためにほとんどコストがかからなくなり、低成長&低収入だけど、ほとんどの人が普通に暮らしていける、という状態です。

次に人は何を求めるでしょうか?

実際、既にその兆候は表れています。

私のところに集まる人たちで、「どうしても経済的に立ちいかなくなったから、稼げるようになりたい」という人は、実際にはほとんどいません。

  • 今の仕事にやりがいを感じないから、好きなことを仕事にしたい
  • 楽しく働いてちゃんと収入も得られるようになりたい
  • 得意を活かして稼げるようになりたい
  • 自分のやりたいことを見つけて毎日イキイキと過ごしたい

そういったニーズなのです。

50年前の人は、働くときに「自分らしく」「イキイキと」などと考える人は少数派だったでしょう。

良い企業、大きな企業に入って、大きな仕事をする。

出世して、収入や立場を上げていく。

仕事内容なんて問わない、とにかく稼ぐ、出世する、大企業に入る、というのが目標の人が多勢だったのではないでしょうか。

そして、そういった目標に向けたロードマップとして、現在の「小中高大」という教育モデルが考案され、うまく機能していました。

しかし、資本主義が進行していった結果、格差が極限まで拡大していき、現在は「ほとんどの人にとって、どこの企業で働いても同じような結果しか得られない」という状況になっています。

低成長時代では、もはや一流企業に入っても、頑張って夜中まで働いて出世しても、報酬に努力が反映されなくなってきているのです。

加えて、報酬を伸ばしても限界費用が低い社会では「大量の資産を持たないとできないこと」自体が減っていきます。

つまり、成長時代の幸福のロードマップであった

「小中高と死ぬ気で勉強して偏差値を上げておき、良い大学から大企業に入り込み、その後は死ぬ気で出世する」と、「収入が上がっていき」、結果として「幸福になる」

というモデルが完全に崩壊しています。

  • 良い大学に入っても大企業に入れない人が増える(2008年を思い出してください)
  • そもそも大企業に入っても収入が低かったり上がらない
  • さらに言えば収入が上がっても幸福度が比例して高くならない

などを経験するうちに、

「ほかのロードマップは無いのか?」

という風に考える人が増えているのです。

しかし、明確なロードマップを創れていません。

なんとなく、「やりがい」「生きがい」「イキイキ」「輝く」「好きなこと」などのキーワードは増えていっていますが、明確になっていないのです。

そこについても、私は結論を持っています。

低成長時代は、「経済的成長」から「自己追及」に幸福度の基準がスライドします。

自己追及は、

  • 自己の興味の理解
  • 自己の強みの理解

の2つの理解を経て、

  • 自己の興味の追求
  • 自己の強みの発揮

を行っていった結果、

  • 他者からの承認
  • 自己への承認

が実現していく状態を指します。

簡単に表現すれば、「何か面白いことの追求にハマって、いっぱい勉強してスキルアップしていった結果、人の役に立って喜ばれていき、自分に自信が持てるようになった」という感じです。

「経済的に成功する」=「幸せ」から、「自己追及度が高い」=「幸せ」に変化していきます。

ゴールが変わっているので、そこに向かうためのロードマップも明確に変化していく必要がありますが、残念ながらそこに気づき、提供している機関は多くありません。

「学ぶべき学問を見つけ、それを追求しつつ、他者の役に立っている状態」が幸福の基準となった際に、そういった状態を実現していくためのロードマップが必要です。

私は、それも「オンラインサロンを起点として、文化的指向性を持った学術コミュニティを各地に創出する」ことによって達成可能だと考えています。

まとめ

さて、さすがにまとめようと思います。

まとめると、私が実行しようとしていることは2つあります。

オンラインサロンを起点として、文化的指向性を持った学術コミュニティを各地に創出する」

「オンラインの初等・中高等向け教育サービスを普及させる」

の2つです。

これらによって、

  1. 行政システムに代わり、文化単位での学術的知見によって社会福祉が実現できるようになる(加えて、そもそも学術都市では行政コストが下がる)
  2. 学術コミュニティ内から経済的・非経済的の両面に対してイノベーションが発生することで経済&文化的発展が促進できる
  3. 短期的な社会システム破綻による経済ショックを、既存のロードマップにかかる費用の見直しと低コストサービスの普及で和らげる(お金のかからない教育、医療、交流などを普及させることで、文化的生活を送るためのコスト自体を下げる)
  4. 幸福の基準値を新たに「自己追及度」に設定した上で、幸福度の高い人生を送るためのロードマップとして学術コミュニティを整備していき、だれでもアクセスできるようにインフラ化していくことで、経済的低成長と幸福度の向上を両立できる社会にする

上記の4点を実現していきます。

そのために、

  1. 「オンラインサロンの作り方」を中心とした、専門家ビジネスを自動化するためのマーケティング理論について教えるスクールの開講
  2. 実際にリアルな村を展開するための場所探しやインフラ整備の準備
  3. オンラインの初等教育サービスのスタート

を2020年に実装していきます。

楽しみにしていてください。

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