皆さんは日々働く中で「これは何のためにやっている仕事なのか」と意識していますか?
こんにちは!
編集ライターのほりゅちゅこです
今回、5人の子供を育てながら起業されている鳥井さん(通称:がくちょう)のラジオで、
「仕事に熱心になればなるほど陥りがちな”手段の目的化”というワナ」
について、がくちょうがわかりやすく語っていました。
とても面白い内容だったので記事にしてみました。
- 仕事でもっと成果を出したい
- 手段の目的化を防ぎたい
なんて人は、ぜひ読んでみてください。
「手段の目的化」とは何か?「ドラえもん」を例に考えてみよう
今、コンビニの24時間営業をやめようという流れがありますよね?ユーザーファーストって言いますけど、ユーザーを甘やかしていたら、バカばっかりになっちゃうわけです。
「本当に夜中ずっと営業する必要があるの?」「元旦も営業する必要あるの?」といったことを考えなくなります。便利なものの裏には、必ず誰かが犠牲を払っているわけで、経済成長を追い求めた結果、人間が不幸になっていたら本末転倒ですよね。
本末転倒といえば、いま自分の娘に教えてヒットしてる言葉があります。それは、「手段の目的化」です。例えば、手段の目的化の代表的な事例は、「ドラえもん」に出てくるのび太くんの先生ですね。「のび太!」って言って、いつも怒るあの先生。なぜ、のび太くんの学校の担任の先生が、手段が目的化してるかというのを、ちょっと考えてみてください。
同じ質問を小2の娘にしたら、ちゃんと答えられましたよ。
「目的」を達成するために「手段」がある
まず、先生の本来の目的は何でしょう?
答えは、のび太くんの知性をアップさせることです。のび太くんが自分で考えたり、算数ができるようになったり、知性を高めていくのが、究極の目的ですよね。そのための手段として、勉強をさせたり、宿題をさせたり、テストをさせたり、いろんなことをやっているわけです。
ですが、あの先生は「宿題をさせること」が目的になってしまっているわけです。勉強をさせたり、テストでいい点を取らせたり、いろんなことをさせることが目的になっています。
でも、宿題をさせれば多少は知性がアップします。最終的に手段と目的がひも付いているので、これだけでは手段の目的化とは言えません。
のび太くんの先生は先生失格!!
問題は、のび太くんが宿題をしてこなかったときの先生の対応です。
あの先生はのび太くんを廊下に立たせますよね。当然ですが、廊下に立たせたら授業に参加できません。授業中に頑張って勉強させて、知性を上げさせようとするその手段すらなくなるわけです。
あの先生は、目的を達成できない手段を選択しています。廊下に立たせたら、授業に参加できずに余計に頭が悪くなっていくので、本来の目的が阻害されます。つまり、のび太くんの知性をアップするという目的が達成できない手段を選択し始めているわけです。
本来考えるべき「どうやったらのび太くんの知性が伸びるか?」ではなくて、「どうやって宿題をやらせてやろうか?」という視点に偏ると、本当の目的を阻害する手段を選択しだします。
そして、「廊下でバケツを持って立たしたら、宿題やってくるのでは?」という考えになってしまい、結果として本来の知性を上げるという目的を阻害してしまっていることに気付かないわけです。これが「手段の目的化」です。知性の低い行動の原因であり、人間の究極のバグです。
手段を選択するときには、常に目的の達成にちゃんとひも付いているか、ということを考え続けないといけません。
「学校に遅刻しそう!」といって急ぐのも手段の目的化
「手段の目的化」は他にもあります。
例えば、子どもが「学校に遅刻しそう」という場合。僕は「走って学校に行かんでええよ」と言っています。なぜかというと、学校は、子どもが健やかで楽しく毎日過ごせるようにするための場所だからです。でも、遅刻しないように急いだせいで車にひかれたら、健やかでも楽しくもない人生になってしまいます。
つまり、学校に急いで行くという手段を優先しようとした結果、本来の健やかな毎日を過ごすという目的が阻害されてしまうわけです。学校に遅刻しないように走って行くのは、手段が目的化しているので、子どもには楽しくゆっくり学校に行かせています。
常に目的を意識して、正しい手段かどうか考えるべき
「手段の目的化」の怖さ、おわかりいただけましたか?
常に目的を意識しながら、目的を達成するための手段は何か?ということを忘れないでほしいですね。
「この手段は、目的のために正しいのか?」「一番良い手段か?」という視点で、毎日を過ごすようになると、手段が目的化しづらい行動習慣・考える習慣が身につくので、ぜひやってください。
それでは、本日も精進しましょう。